2010年07月28日

ふるさとの史跡を訪ねて

 梅雨明けから、やっと雨が降りました。
 野菜にとっては、恵みの雨、慈雨です。私も、ここ数日庭の植木の水遣りに、1時間ほどの手を取られていましたが、今日はゆっくりしています。

 今日は、故郷の史跡と風土を訪ねての本の中から、熊本市内の有名な坂の話の中から日本三大名城の一つである熊本上の玄関口である「御幸坂」を紹介します。

 熊本城周辺には、多くの坂があります。
 例えば、「棒安坂」「薬師坂」「法華坂」「鞍掛坂」「御幸坂などです。

「急な南坂をゆるやかな御幸坂に」
 熊本市民会館横の御幸橋から西大手門、加藤神社、棒安坂へと抜けるなだらかな坂道が行幸坂。

 明治35年11月の陸軍特別大演習の際、熊本城が行在所になり、それまでの急な坂、南坂に手を加え、名も行幸坂と改められました。

 南坂は、御幸橋の少し上手に跡を残す下馬橋から南大手門へ通じた道でありました。
 城内にはいる者は、すべて馬を降りなければならなかった下馬橋と南大手門は、その時取り払われました。

 下馬橋の橋脚の一部が我が母校「熊本高等学校」の門柱として残っているそうです。
 吃驚しました。

 行幸を記念して、行幸坂と長塀を記念して植えられた桜は、花の名所として今も多くの人を楽しませています。

 天皇が、明治5年3月にご覧になった熊本城の雄姿は、明治35年に来られ時は、大きく変貌していました。

 言うまでもなく西南の役の線化のために焼失したのであります。

 5年当時の、若き天皇の熊本行幸の供奉長は、西郷隆盛だったそうです。

 皆さん、ちょっと豆知識が搗きませんでしたか。



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posted by osamu at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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