2014年01月31日

私の町(近見町)今昔

 今週は、特別な行事もなく、30日木曜日のロータリーの例会も無く、のんびりとした毎日で、日頃出来なかった雑事を済ませています。
 夕方晩酌をしながらテレビを見ていたら、私が社会福祉協議会時代にでお世話になっていた丸山さんを初めとする池田町のボランティアの方達の、お年寄りの為のお弁当作りが報道されていました。
 池田町のボランティアの方達は、20年以上も頑張っておられるのだなという思いと懐かしい思いが錯綜しました。
 今日の話は、私が69年(実際は4年間東京で学生生活をしていましたが)住んでいる近見町の今昔をお話したいと思っています。
 私の町は、部落の大半が田圃が広がっている農村地帯でした。
 幼い頃は、遊び場所といえば田圃の中の川やレンゲソウが植わっていた畑でした。
 中学生の頃になると、私が可愛がっていた馬に乗り、野道を駆け巡りました。
 大人たちは、田植えや稲刈りなど向こう三軒両隣協力しながら農作業を頑張っていました。
 ところが、私が中学生の頃に国道3号線が出来、昭和40年後半期には国道57号線(通称東バイパス)が出来、交通量が多きなり、高殫事故の多発地域になりました。
 これら国道の築造に伴って、開発が進み、地価は高騰して、先祖代々守ってきた土地も否応なしに手放されてしまいました。
 現在では、昭和時代の農地の3分の1程度しか残っていません。
 また、農業後継者は、皆無といっても過言ではありません。
 残った農地も誰が守っていくのか心配です。
 話は少し変わりますが、私がお世話している近見日吉神社も宮総代を引き受ける人材も減ってきたいます。
 また、小学校や中学校も、人口の増加で新しい中学校、小学校が出来ました。
 町内に、大きな病院「熊本済生会病院」が出来、毎日薄歳ぐらい救急者のサイレンの音に悩まされています。
 兎に角、昔の近見町の風景が見れなくなっています。
 しかし、一つ伝統伝承行事「ドンドヤ」だけは、地位戸で頑張って守っています。
 このように、私達の町近見は、目まぐるしいほど変わっています。


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ちなみに現在は…??
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